夕方、食事から戻り、パソコンの電源をいつものように入れる。しかし、どうも様子がおかしい。画面が開かず、赤や黒の線が上から下に流れてくるだけ。電源を切り、時間を置いてやり直しても同じ。就寝前まで、何度か繰り返した。
焦った。パソコンが壊れたかも知れない。メールアドレスや連絡先などのデータは、すべてパソコンの中に入れていたため、パソコンが動かない限り、全くのお手上げだ。これで帰国までパソコンは使えない(日記も継続できない)。中国で修理はできない。とりあえず明日、住所の記憶がある人には手紙を書き、電話番号を覚えているところには、国際電話をかけよう。学校は長期休暇で、頼みの陳さんにも相談できない。後は、学校近くのインターネットカフェに行き、日本語をダウンロードし、メールが届いている人には返信機能を使って状況を知らせよう・・・、と考えた。
今朝、起床してすぐに電源を入れた。画面上にエラー修正の文字が眼に入った。あっ、動いた。昨日、あれだけ反応がなく今でも原因は不明のままだが、とりあえず一段落。メールは安価でタイムリーな日本との通信手段。手紙は届くまで四日ほどかかるし、国際電話は高く、長時間かけることのできるカードは近くには売っていない。一分10元(約150円)で、売店にある最高の20元のカードでも、すぐに切れる。しかも、カードを変えるたびに、20桁近くのパスワードをプッシュしなければならない。
危機管理ができていない、と思った。北京市内であれば、外国人が利用するホテルに行き、そこからビジネスセンターなどを使って国際電話をかけることもできるが、ここは昌平。本当に外国だ。文明の利器も、動かなくなれば意味はない。早速、メールアドレスと住所をノートに転記した。
メーデー(労働節)の大型連休入りを目前に控え、北京では全国各地からの旅行者が増え始める一方、旅行先で休暇を過ごそうという市民が、列車のチケットを買うため売り場に長い行列をつくる光景が見られた、という記事。学校も、昨日から五日の日曜日まで休み。一部の学生たちは、帰省したようだ。
中国のゴールデンウィーク(黄金周)は、春節(二月の旧正月)や国慶節(十月)と並ぶ民族大移動の時期。大きな駅では、帰省客や旅行客で大混雑する。人口が多いだけに、その混雑振りは日本の比ではない。中国語で言うと春節は特に「人山人海」。まさに、駅構内は立錐の余地がなく、人だらけだ。
日本の約25倍の広大な国土に十数億人が暮らす中国。人口問題も、この国の今後の大きな課題。食料、エネルギー、住宅、失業、一人っ子政策と高齢化社会など、社会問題に直接関係するからだ。仮に、中国がこのまま経済発展を続けたとしても、貧しい内陸部から豊かな都市部への流入(盲流とか民工潮とかいう)が増えれば、戸籍による制限をしてはいるものの、都市部が彼らを受け入れるにも限界が出てくる。
レスター・ブラウンの「中国は人々を養えるのか」という本にもあるように、久しぶりの家族との再会や観光地への旅行の裏に、中国の将来を不安視する人たちのひとつの根拠が、この人口問題にもある。5/25にNHKのBS1で北京や上海などを取材した中国特集が放映される。経済発展に伴う華やかな大都市や庶民の生活の変化ばかりが注目されるなか、中国人自身の相互の生き残り競争もますます激しくなる。
中国も今、日本と同様、失業者が多く、就職状況は極めて厳しい。そういった社会状況を反映してか、毎晩七時から、「労働・就業」という三十分のテレビ番組が放送されている。
現在の経済成長と雇用の状況を考えると、毎年、約 800万ケ所の就職先が増加すると見込まれるが、絶対的な人口が多いだけに、それだけでは就職希望者をカバーできず、労働力の供給過剰は非常に深刻な問題となっている。ここ数年で労働力供給はピークを迎え、毎年1200万〜1250万人の新しい労働力が生まれている。去年末までに再就職サービスセンターに登録した一時帰休者は500万人以上、失業者は680万人。農村では1億5千万人の余剰労働力が行き場を求めている。WTO加盟による外国企業の本格的進出や西側の経営手法を取り入れた大手民間企業との競争に敗れれば、現在五割以上と言われる赤字国営企業の数はさらに増え、倒産や規模縮小による解雇、人員整理、一時帰休
(実質的な解雇)が、一層の社会不安を引き起こす恐れがある。そして、人口の七割を占める農村で暮らす人たち(約九億人)の余剰労働力問題。中国の将来を不安視する人たちの根拠は、ここにもある。
「言ってはならない資本主義、やってはならない社会主義」という言葉は、共産党に対する庶民の本音。中国は、いまや実質的には弱肉強食の資本主義国。貧富の差は、日本以上に大きい。高価なマンションや高級車が売れる一方、その日の食事さえ事欠く人たちも多い。欧米や日本では、効率化やコストダウンを図った結果、単純工場労働者はロボットや機械にとって代わられた。コンピューターの導入で、簡単な事務の仕事も減った。そして、今、人件費が安い東南アジアへ工場を移し、ますます失業者を増やすという必要悪を生み出している。
しかし、「世界の工場」と言われる中国自体がすでに労働力問題に頭を痛める現状で、さらに大量の労働力を受け入れるには、サービス業など第三次産業の市場拡大しかないのか。この学校を卒業し、就職活動を始める学生たちにとっても、今年の夏は試練の時期でもある。
参考:中国の十大人気職業( 5/2:福建の窓)
1. 計算機軟件開発商(コンピューターのソフト制作。 需要は百億元、年間収入 5万元以上とのこと。現在
198万人が本業務遂行中)
2. 建築承包商 (建築関係請負。中国、特に都会は建築ブームが続いている。 社長になると百万元も
)
3. 律師( 弁護士は花形職業のようだ。北京だけで大手の律師事務所が 200以上。 10万元以上が90%以上を占めている)。
4. 体育明星 (人気スポーツ選手、 サッカークラブの選手は年収 3.6万-8.4万元。最高クラスは百万元も
)
5. 中冊会計師( 1993年わずか6人10万元で創立した北京会計事務所は、 一年後に 30人・年収400万元、1996年末には100人になり、
最高で 3600万元の収入になった人も。 2010年には30万人がこの業務にあたる予定)
6. 証券経紀人
(証券マン)
7. 広告人 (広告会社)
8・特殊 養殖人 (サソリ、蛇、食用犬、蛭などの養殖)
9.整形医生及び美容師
10.公関人 (公関は広報活動の意味)
謝副院長に誘われて、近くの観光地に遊びに出掛けた。総勢23名。謝さんの車と学校のマイクロバス二台を使って出掛けたが、十時出発予定が、一時間遅れで出発。いい加減な時間感覚はいつものことだ。メンバーは、謝さんの知り合いの人たちと、ナイジェリア出身の英語教師、河南省で国語の教師をやっていた李さん (先週、世話役の陳さんと同じ交流センターに赴任)、それに我々日本人教師たち。
学校から十分ほど走って、最初に案内されたのが、なぜか北京国際ゴルフ場。見学が目的だ。日本人経営ということもあって、クラブハウスの壁には、日本の商社、銀行、メーカーなどの大手企業名や、名誉会員として、平岩外四、豊田章一郎、斉藤英四郎など錚々たるメンバーとともに、福岡シティ銀行の四島司氏の名前もあった。コースから五、六人の日本人らしきグループが戻ってきた。大阪弁だ。多分、北京駐在のお偉いさんたちだろう。「ああ、疲れた」と言って横を通り過ぎたのは、夫らしき人と一緒の年配の女性。運転手付の車で帰っていった。ここでは、まだ「金持ちニッポン」が羽振りを利かしている。
車は山を登っていく。標高800mほどの休憩所で昼食。ハム、チキン、卵、パン、桃など事前に買ってきた食料を、ビールを飲みながら、みんなで食べた。少しかすんでいたので、周囲の見晴らしは今ひとつだったが、ハンググライダーも眼に入った。下に見えるダム周辺もまた観光地。遊園地で八人乗りのモーターボートに乗ったあと、休憩しようと何軒かの店を見たが、満席。李さんがおごってくれたアイスクリームを食べる。
日本と同様、観光地に出掛けるというゴールデンウィークの過ごし方は、中国人も同じ。しかし、名所旧跡でもない、このような場所は、日本人の眼からみれば、とりたてて面白いとか楽しいという気にはならない。それとも、大人のせいなのか。散乱するごみの山、駐車場に並ぶ観光バス、記念写真を撮る多くの人たち、高い観光地価格・・・。そのようなものしか印象に残らない。中国の人たちは、日本に比べて、家族連れで遊びに行くところが少ないような気がする。娯楽全体の量も質も、まだ貧しい感じがする。
昌平の町を歩くと、路地裏の露天で色々なものを売っている。一個一元の雑貨、野菜、果物、肉、淡水魚などの食料品。肉は板の上に並べてあるだけなので、蝿がたかっている。海の魚は全く見かけない。スーパー小白羊の生鮮食料品売り場では品質保持のために、冷蔵用のショーケースにきちんと商品が納められているが、このような場所では、温度管理などできるわけはなく、劣化も早いだろう。一日で全部売りさばくのだろうか。売れ残ったものはどうするのか。
中国野菜が農薬に汚染されているという記事が載っていた (下記参照)。食生活の多様化や供給拡大に伴う大量生産のために、分別なく農薬を散布し、虫を殺し、見かけをよくする。日本で売られているウーロン茶に大量の農薬が使われているのは周知の事実だ。日本もかつて同じ事をやり、有機栽培や自然食品の関心につながった。この記事が日本国内で流されると、日本人は衛生観念が高いため、いくら中国野菜は安いと言っても、少しは慎重になるだろう。
価格の安い中国野菜が日本に輸入され、政府は日本の農業を守るため、セーフガードを発動。中国は日本製品に高い関税をかけ対抗したという話題は、去年の話。日中間の価格差を利用して、大きな利益を得ている野菜輸入業者は多い。そういえば、商品を中国で一貫生産し、高収益を得て、一世を風靡したユニクロの凋落が激しいと聞く。消費者にとって、価格、品質、デザインなどの面で満足を与える商品を供給し続けることができないと、消費者離れはすぐに始まる。 日本の税関や野菜輸入業者も、狂牛病問題と同様、今まで以上の安全性チェックで臨まななければ、大きな社会問題になる可能性は高い。
一方、中国では、食品の管理体制はまだまだ十分ではない。しかし、食品衛生意識の高まりとともに、少しずつ改善はされていくだろう。そうなったとき、産地直売の野菜や肉を売る露天商たちに対する規制も当然始まる。
参考:野菜の農薬汚染 (5/2:中央電視台) (北京)
中国の野菜は、少し前まで虫がついているのが普通で、調理された皿の上にあまりみかけないものがあると思うと、蛾などが料理に入っていることもありました。でも最近は外見がきれいなものが多く出回っているようです。そこでは深刻な農薬汚染状況があらわれています。日本への輸入野菜まで、検出されてはいけない農薬が数値化されているようです。北京市質量監督局が
5月1日に、ニラ・アブラナ科野菜・油麦菜・円白菜の4種について農薬及び重金属残留検査を実施した所なんと14%が不合格の水準でした。また18の県・区の30種の野菜について同様の検査を行った結果では、様々な重金属・農薬が検出されています。
何年か前に、「没有 (メイヨウ、ありません)」、「不在(ブーザイ、いません)」、「不知道(ブーヂーダオ、知りません)」というのが、中国の現状をあらわす代表的な言葉、と聞いたことがある。つまり、店に行っても欲しいものはなく、人を訪ねても不在、何かを聞いても、難しいことは分からない・煩わしいことには関わりたくない、など否定的な返事が多いという意味からだった。
しかし、今はたいていのものが有 (ヨウ)。携帯電話の普及で本人の所在が把握でき、新聞、雑誌、テレビ、タウンウォッチング、インターネットなど情報源の開放で知識も増えた。サービス精神も普及しつつある。オーストラリアに住む中国人から、英語でメールが届いていた。読むのはできるが、返事を書こうとしても、中学生レベルの単語さえ、なかなか思い出せない。
そして、現在の自分の中国語のレベルも、まだまだ。生活や旅行のための簡単な会話はなんとかなるが、テレビのニュースを見たり、中国人同士の会話はほとんど理解できない。つまり「
ティンブドン、聞いて分からない(ブは不、不可能の意)」。中国の人たちの話すスピードが速くて、ティンブドン。単語や成語(熟語)が分からなくて、ティンブドン。こちらの話し方がでたらめで相手がティンブドン、発音がいい加減でティンブドン。日本人同士でも、相互理解はなかなか難しい。同じ漢字圏の日本人が、大人になって初めて中国語を勉強し、流暢に話すことなど、長年現地で暮らすか、特訓をしない限り、所詮、無理。
当面の目標は、相手の言っている意味の骨子が正しく理解でき、こちらの伝えたいことを相手に正しく伝えることができること。そして、「没」や「不」といった否定語がつかずに、「ティンダドン、聴いて分かる、(ダは得という字、可能の意味を表す)」のレベルになること
せっかく中国に来たのだから、インターネットで中国関連情報も見よう、といくつかのメールマガジンに登録した。これらのメールマガジンは、もちろん日本でも見ることができるが、やはり現地で見ると、親近感が沸くし、興味のある北京情報があれば、すぐにでかけることができる。発行者は、留学生、現地駐在員、中国語教師など。彼らの日常生活や仕事を通して、現在の中国事情が平易な文章で書かれており、参考になる。
最近、面白く読んでいるのが、「WEB_熱線=市井から見た中国=」。Ojin(オジン?)と称する著者の日常生活や、掲示板を通して知り合った人々たちとの触れ合いが読んでいて楽しい。特に、このメールマガジンに連載されている「重慶熱線」という、ある駐在員の商社マン時代の話が興味深い。テーマは、「家庭崩壊への道」。
日本の外国語大学で中国語を専攻し、 三十年ほど前に中堅商社に入社した著者は、その後、中国でどのような人生を送っていくのか。思わず、読み入ってしまう。
現在、中国で働く日本人の数はどのくらいいるのだろうか。進出企業の増大とともに、かなりの数になるだろう。たとえば、工場を立ち上げるためのスタッフになれば、少なくとも数年、長ければそのまま十年以上、居つく人もいるかも知れない。大手企業の駐在員だと三年サイクルくらいか。どこの土地に赴任するかによっても、生活環境は全く変わる。メールマガジンの発行者たちは、中国生活を楽しんでいる人たちだろう。しかし、社命で中国赴任を余儀なくされ、言葉もできず、不自由な生活を強いられて、ストレスが溜まっている人も多いはずだ。
昔から、住めば都、という。環境になれ、言葉も少し分かるようになると、また新しい出会いや発見が見つかるかも知れない。
学内の国際交流センターに最近赴任した李という女性が、我々日本人教師に中国語を教えてくれることになった。彼女の話だと、テープなどで日本語を一年ほど独学したらしい。その割には、日本語科の学生に比べてレベルが高い。学生たちは、ふりがながないと漢字が読めないことが多いが、彼女の場合は、簡単に読んでしまう。また、文法も容易に理解することができる。
彼女は日本語が少しできるので、日本語を中国語に訳してくれて、こちらの勉強にもなる。
彼女は、以前、湖南省で国語の教師をやっていたから、教えるのはプロだ。他の二人が、ほとんど中国語ができないため、改めて発音の基礎から一緒に習うことにした。これらの基本的な発音は、日本語のいわゆる「あいうえお」のレベルで、中国では小学一年生が習う。しかし、改めてやってみると、特にnとngの発音の違いがうまくできない。彼女が、何度も発音してくれるが、その違いを理解するのが難しい。
中国には多くの省 (23省?)がある。黄河の北側が河北省、南側が河南省。その下の洞庭湖の北側が湖北省、南側が湖南省ということを初めて知った。しかし、いまひとつ湖(hu2)と河(he2)の聞き分けもできない。普通のスピードで話されると、湖南省(hu2nan2sheng3)と河南省(he2nan2sheng3)が同じフーナンションに聞こえる。学生がそれらの出身地であれば、その発音を確認してみる。uとeの違い。これも、できるまで練習し、慣れるしかない。
日本と同様、生まれ育った場所に、それぞれ方言があり、同じ中国人でも全く理解できないこともある。それだけに標準語として、正しい発音ができたほうがいいとは思う。しかし、今の段階では、通訳や交渉事など正確性を要求されているわけではなく、日常生活レベルで、お互いの意図が通じれば、とりあえずそれでよし。
学校の昼飯も食べ飽きたので、昌平の町に出掛けた。こちらへ来た頃は10元を払ってタクシーに乗っていたが、最近は徒歩。十五分程度で着き、軽い運動にもなる。街中は、美容院
(男女共用)が思った以上に多い。三軒続きのところもある。男性の整髪の場合、10元。店内を覗くと、こぎれいにしている。薬屋にも入った。漢方のコーナーには、乾燥させたタツノオトシゴや蛇なども売っている。それにしても、どの店も全般的に
店員が多い気がする。特にスーパーはそうだ。いくら人口が多いとは言っても、非効率だろう。農貿市場を通り、新華書店へ。一冊1.5元のレポート用紙を三冊買った。
その先に、小白羊と違うもうひとつの食品スーパーがあると、聞いていたので入ってみた。開店三周年の垂れ幕。店内は、小白羊よりも整頓されており、きれいだった。日本と比べても、大して遜色はない。飲料水、酒、即席ラーメン、生鮮食品 (初めてイカを見たが、他はやはり淡水魚。野菜もきれいにパックしてある。)、ハム、菓子、卵(薄緑色の見かけないものもあった)など、一通りそろっている。ただし、立地的には小白羊のほうがよく、客の入りはまだ少ないが、この通りは、新しいマンションやおしゃれな店が(現地の人にとって?)でき始めているので、これからは改善されるだろう。
タバコ売り場でいつもの「中南海」を見つけた。値段は3.9元。小白羊が4.8元、学内の売店が4.5元。中国では、タバコは専売制ではないらしい。お茶は意外に高い。特にブランド品は500gで200−1000元。もちろん8元ほどの安いお茶もあるが、我々のイメージと違って、有名産地のお茶は本場中国でも高級品だ。このようなお茶を、香港、上海、北京などの金持ちが嗜好品として飲むのは理解できるが、昌平でも買う人がいるのだろう。
すでに汗ばむ季節。街を歩く若い女性たちの中に、ノースリーブや半袖、スカート姿も増えてきた。ポニーテールにジーパンというワンパターンから、個性を出す服装に変わりつつある。
昼休み。廊下越しから、簡単な中国語のテープが聞こえてくる。向かい斜めのナイジェリア人の部屋からだ。
彼は、この学校の唯一の英語教師。この二月に赴任したらしい。日本人より、明らかにハンディキャップがあるはずなのに、真面目に中国語を勉強している。漢字圏以外から来て、中国語が全くしゃべれなかった彼が、先日のハイキングで「非常好 (フェイチャンハオ、Very Good!)」と中国語で言うのを耳にした。上手だった。
いくつかのことを思う。ナイジェリアというのは、どのような国?二十代に見えるが、なぜ彼はここで英語を教えようと思ったのか。この学校には、多分、白人の教師は来ないだろう。学生たちは、別に黒人であろうと白人であろうと気にしていない。食堂で食事をしているのを見かけるが、食文化の全く違う国で、よくなじんでいる。我々日本人教師は複数いるのに、彼は一人、寂しくないのか、将来どうするつもりか・・・・・。
外国、特に先進国と言われる国から来た人間が、発展途上国の生活環境 (中国の大都市は少し別)で暮らすことの大変さは、時間が立てば、ある程度解決できる。日々の生活を通して、言葉、文化、習慣などに慣れてしまえば、同じ人間、別にたいした問題ではない。学校の職員や学生たちと、毎日、顔をあわせていると、言葉が分からなくても、「ニーハオ」と言ってさえいれば、向こうも、「ニーハオ」と笑顔で答えてくれる。
コミュニケーションというものは、まず、そこから始まる。ナイジェリア人の彼が、我々日本人が驚くくらい、中国語が上手になる日がいつか来るかもしれない。
夜、売店にタバコを買いに行ったら、テレビの前に十人以上の学生たちが集まっていた。何かと思うと、中国とタイのサッカーの試合。椅子に座って一緒に見ないか、と誘ってくれたが、部屋でビールを飲むつもりだったので、立ち話をした。ちょうどインターバルの時間で、売店の若者が日本の人気選手は誰だと聞いてきた。オリンピック出場も決まり、サッカーは中国では人気スポーツだ。
テレビが一般家庭に普及し、いまや在庫が多いとも聞く。北京のテレビ番組は、CCTV(中央電視台)とBTV(北京テレビ)で計八チャンネル。ニュース、クイズ、料理、ドラマ、時代劇、ドキュメント、歌番組、旅行、スポーツ(「散打」というK−1のような打撃系格闘技やアメリカのプロボクシングなどもやっていた)、特集など、番組構成はほとんど日本と同じ。しかし、言葉が分からないこともあるが、いまのところ、そう見たい番組はない。興味深いのは、コマーシャル。薬、飲料水、食品などに加えて、空調機器、電子レンジ、乗用車、オートバイ、不動産など、生活水準の向上に伴い、高価格商品も目立ってきた。また、女性タレントや女優などを使い、「ここは本当に社会主義の国?」と思うほど、垢抜けしたものもある。コマーシャルは時代を映すひとつの鏡なのだろう。
ただ気になるのは、政府が何らかの形で情報統制しているのではないか、という思い。暴力物や大人向けの番組が制限されるのは理解できる。しかし、たとえばドラマで言えば、食堂でDVDで流れさている台湾や香港の番組に比べて明るさや開放性が感じられないし、ニュースで世界情勢をどこまで伝えているかもはっきりしない(たとえば、今回の中国・瀋陽の日本総領事館で起きた北朝鮮住民の拘束事件は報道されていない模様。また日本のニュースもほとんどなく、アメリカと中東のニュースが多い気がする)。
北京の代表的な観光地・頤和園に行ってきた。もともとは清朝の離宮で、後にあの悪名高い西太后が政務を司っていた場所でも知られる。浅田次郎の大作「蒼穹の昴(そうきゅうのすばる)」にも登場するが、福岡の大濠公園を何倍も大きくした感じで、杭州の西湖に似ている。日曜日ということもあって、観光客で一杯。七年前にこの地を訪れたときと同じカットで、写真を撮った。背景は、昆明湖と仏香閣。ここは、ゆったりとした気持ちになれる。北京で好きな場所のひとつだ。
二時過ぎ、遅い昼食を取り、学生から教えられていた徐悲鴻記念館へ。徐悲鴻は、近現代中国を代表する画家。特に馬の絵で有名だが、展示室の奥中央に飾ってあった「九方皋
(きゅうほうこう)」という絵が印象に残った。入館料5元。頤和園から記念館へ向かう途中、北京大学、人民大学、北京理工大学などの大学が見えた。また、中国のシリコンバレーと言われ、今、世界的に注目されている中関村を通った。秋葉原のような電器店も多い、と聞く。
記念館から歩いて五分くらいのところに、昌平への直行バスが五分おきに出る徳勝門というバス停がある。着いたのは五時過ぎだったが、すでに数百メートルの長蛇の列。高速道路で片道約50分かかるため、みんな座ろうと待っているのだ。結局、一時間後に乗ることができ、座って帰った。
頤和園で中国の歴史を、中関村で中国の先端技術を、徐悲鴻記念館で一人の芸術家の人生を、そしてバス停で中国の人の多さを・・・。今日は、いろいろと考えさせる一日だった。
夜の自習時間。19:30−21:30。学生たちの部屋の電気は完全に消され、しかも見回りが来るので、隠れているわけにはいかない。宿舎の出入り口も完全にロックされる。だから、この時間、教室に行くしかない。
教室には、日本語科の学生数は十人足らずしかいなかった。だいたい、いつもそうだ。残りの学生は、インターネットなど学校の外に遊びに行っている。教室で真面目に勉強しているのは、前のほうの席の半分くらい。他は雑誌を読んだり、教室を出たり入ったりして時間をつぶしている。菓子やアイスクリームを食べながら、友達と雑談している者もいる。床にはひまわりの種のかすが散乱している。確かに、この時間、勉強する気のない学生にとって、退屈で仕方がないだろう。
一方、一階の英語科の教室。ほとんど満席。授業をやっているのか。中国人らしき人がテキストなしで英語でしゃべっている。それを聞いて、時おり、笑い声が聞こえる。つまり、学生たちは英語を聞いて理解しているのだ。考えてみたら、英語科の学生の方が全体的にレベルが高い気がする。プライベートで話していても、日本語科の学生に比べ、きちんと主張するし、英語も自然に話している。もちろん、劣等生もいるのだろうが・・・・。理由を推察すると、
(1)学生の資質の差 (2) 学生の目的意識の差 (3) 教師の指導力の差だろう。
日本語教師の資格もなく、しかも中国語が全く話せない人間が、単に日本人というだけで、テキストに沿って説明しても、学生たちがどこまで理解しているか、それを把握することはできない。教師は、自己満足でやっているように見える。それを見て、日本語科の学生はやる気をなくし、勉強に興味を失っていくのではないか。優秀でやる気のある学生ほど、他校に移るというのも納得できる。
中国語が全くしゃべれなくてもいいのは、学生が教師の話をある程度理解できる場合だろう。これでは、英語科と日本語科の外国語能力の差が益々開くのも仕方がない。
初めて、市内の床屋に行った。街を歩いていると、思った以上に床屋の数が多い気がする。中国では美容院という看板で、男女ともそこにいく。聞くところによると、料金は10元から20元。今日行った店は15元だ゜ったが、店内はきれいで、日本の床屋よりもセンスが良かった。
店の名前は、意味不明な「御の膚」。「の」という字があったので、店員に尋ねたら、どうも「之」の字らしい、ひらがななのか。「膚」という字は、皮膚の膚だが、日本語にはない漢字。店の雑誌に、この店の広告が載っていた。どうも、チェーン店らしい。
中央に四個ずつ両面の鏡があり、全部で八席分。ロングヘアーの女性客の横で、最初に薄い作務衣みたいなものを着せられ、いきなり、シャンプーの原液で頭をもむこと五分くらい。その後、場所を移って、日本の美容院形式か、仰向けで髪を洗う。そして整髪。バリカンは使わず、はさみとかみそりでカット。最後に、もう一度、洗髪。終わるまで約一時間かかった。髭剃りは、衛生上の問題なのか、なかった。終った時、客が増えていた。
中国も当然ながら競争社会。値段が安いだけでなく、センスや技術ののいい店に客が集まる。ファッション感覚が向上し、おしゃれに興味を持ち始めると、特に女性客はこのような都会的な店を利用するだろう。
北京の日本大使館文化部と日本国際交流基金北京事務所に行って来た。
日本大使館文化部は、日本大使館横の国際倶楽部というビルの中にあり、中国に住む日本人や日本に興味のある中国人のために、日本の最新の雑誌、新聞、ビデオなどを自由に閲覧させるために無料で開放されている。入館するとき、身分証明書の提示を求められた。パスポートを持っていたので、それでオーケー。ここには、日本人はおらず、片言の日本語のできる中国人スタッフのみ。
館内には、中国人学生たちが十人ほどいた。たまたま、瀋陽の事件の記事を一面に出した、日経など日本の新聞各紙や中国特集の東洋経済などが目に入った
(数日前に、新華社がこの瀋陽の事件を報じたが、それまでは中国のマスコミは一切報じていなかったらしい)。
日本国際交流基金北京事務所は、文化部と目の鼻の先。中国に関する情報を提供しているところのようだ。ここでは、知人が北京で現代書道の展覧会を秋に開く予定のため、画廊情報をヒアリングに行った。若い日本人女性スタッフ が応対してくれたが、こちらに来て初めてまともな日本語を聞いた。
日本大使館前を歩いていると、いつもに比べて警備が厳しい印象を受けた。前回来た時は、敷地の外に石塀と鉄パイプ柵が二重で設置されていたが、今回はさらに、その間に針金の柵が追加されていた。中国政府も、かなり神経質になっているのだろう。
夜、食堂は学生たちで一杯だった。中国代表チームのサッカーの試合を見るためだ。みんな、自習時間を抜け出して、テレビ観戦に興じている。中国人のサッカー好きを改めて感じた。学校の壁新聞はサッカーの記事が目立つし、テレビでもワールドカップに向けた特集が多い。試合結果は、0対2で中国チームの負け。ワールドカップが始まると、自習時間は、今日以上に教室はがら空きになるのではないか。
学生には娯楽が少ない。昌平の街に遊びに行くか、近くのインターネットカフェで時間をつぶすか。部屋は四人から六人の二段ベッドの相部屋。勉強しようと思ったら、教室にいくしかない。部屋にテレビはなく、見たい番組は、食堂か売店で見せてもらうほかない。だから、刺激を求めて、平日でも授業をサボって北京へ出掛けるのだろう。
中国の大学や高校は全寮制が多いと聞くが、多分しっかりと時間管理を含め、いろいろな拘束で縛られているのだろう。この学校でも、指定された時間しか部屋にいることはできない。我々教師はいつでも自由に出入りできるが、学生たちは授業時間は教室に追い出され、寮の出入口は係が鍵をかけ、部屋に行けないようにしている。また居残りがいないかどうか、毎回部屋ごとを見回る。
日本の大学生には、多分、耐えられないことではないか。ここでも、日本人の自由を感じる。
昌平の中心部はほとんど歩き回ったと思っていたが、まだまだ新しい発見がいろいろとある。
大通りから路地裏に少し入ると、風呂屋、洗濯屋、歯医者。百貨店やスーパーも意外と多い。二人乗せても大変なのに三人乗せた輪タク。相次ぐ飲食店や衣料店の新装開店。カラオケ、ディスコ。小学校の門の前では、子供たちの下校を待つ親たちの群れ。山積にしたスイカ。商品一掃の安売り。暇そうで愛想のない店員。車同士の接触で口論している男二人、それを遠巻きに見守る野次馬。改築のため、壊された家屋のレンガの山。新設された信号があるのに、旗で誘導する作業員。飲食店店員の呼び込み、そして乞食・・・・。
中国が発展途上の国と感じる理由のひとつは、道に結構ごみが落ちていて汚いこと。清掃員が定期的に巡回しているようだが、裏通りまで手が届かない。また、パイナッブルをらせん状に切って売っているが、包丁が汚いと聞いた。豚肉の塊を板の上に晒して売っており、蝿がたかっている。店内で食事している横でも、はえたたたきを持った店員が蝿を追っている。要は、衛生観念がまだまだなのだ (日本も昔はそうだった)。
もうひとつは、ルールや順番を守らないこと。バスに我先に乗り込もうと、ドアに殺到する。地下鉄でも降りる人間を無視して、どっと乗り込んでくる。車が両サイドから来ているにもかかわらず、平気で横断する・・・。
ルールの遵守も含め、経済発展による日常生活の向上とは、このような時間や経験を経て、なされるものか。中国はいま、その通過点にある。
日本語科の学生は、できるものなら日本へ留学したいと考えている。そのため、生活費がどのくらいかかるのか、とよく質問してくる。
下記は、ネットで見つけた留学生の日本での生活費の一資料。これを見せながら話をすると、日本での一ヶ月の生活費が、中国の大卒者の初任給の半年分以上くらいかかると分かって落胆する。当然、これ以外に、渡航費、入学金等がかかる。
ちなみに大卒者の初任給は、700−1000元(8500−15000円)と聞いた。この数字はまだ安いほうか。
支出内容(一ヶ月) | 元換算 | |
---|---|---|
住居費 | 32000円 | 2130元 |
食費 | 31200円 | 2080元 |
通学費 | 6000円 | 400元 |
娯楽費 | 7000円 | 470元 |
学習費 | 3000円 | 200元 |
書籍費 | 5000円 | 330元 |
貯金 | 4000円 | 210元 |
その他 | 3000円 | 200元 |
小計 | 91200円 | 6020元 |
授業料(一例) | 31000円 | 2070元 |
合計 | 122000円 | 8090元 |
今回の滞在の際のひとつの目的でもあった、北京の中関村に行ってきた。 このあたりは、近年、連想や方正といった中国を代表するコンピューター関連企業だけでなく、日本やアメリカなどのメーカーも相次いで研究機関を開設しており、いま世界が注目する中国ITビジネスの拠点でもある。その背景には、北京大学、精華大学、北京理科大学など、たくさんの大学や科学技術院が集中しており、その研究結果が、いわゆる産学共同体として発展を始めた。精華大学ではWindowsに対抗するOSを開発、連想に続き、業界売り上げ二位の方正という企業は北京大学の研究室から生まれた。
電脳とは、中国語でコンピューターのこと。太平洋電脳市場や中海電脳市場といった、パソコンおよびパソコン関連機器の多くの専門店を一同に会したビルがいくつもあり、どこも客で賑わっている。ビル内を歩いているだけで、それぞれの店の人間がバンフレットを片手に声を掛けてくる。販売競争も熾烈だ。ガイドブックには「日本の秋葉原」として紹介してあるが、電器部品も売っており、納得。現在でも、一帯は新しいビルの建設がさらに進んでいる。中国ではインターネット人口が急速に増えていると聞く。ソニーや富士通、東芝などのパソコン製品の値段を円換算してみると、日本の量販店とほぼ同じ価格。貨幣価値が違うから、その分、庶民にとっては、まだまだ高値の花だが、所得の向上により、個人がマイカーだけでなく、パソコンを持ち始めると、その市場性や中国社会への影響は極めて大きい。
参考 中国関連サイトより抜粋
中国政府によると、インターネットを利用している中国国民は約 3000万人で、その数はなおも急増しているという。しかし、中国は完全に政府の統制化にあるメディアが発信する以外の情報に国民が触れる機会を制限するため、外国のニュースサイトへのアクセスをブロックしている。また、中国のインターネットカフェには、利用者が訪れるサイトの記録を保存するとともに、危険視されているサイトへのアクセスが試みられた場合には、それを通報する義務が課されている。上海警察のインターネット安全監視課は、新聞各紙に新たな警告を掲載し、政治的に危険なサイトやポルノサイトからの情報を複製した者は厳罰に処すと通達した。あわせて、国民が違反者を通報できる電子メールアドレスも掲載した。これまでに、監視用のソフトウェアをインストールしなかったとして多数のインターネットカフェが警察によって閉鎖されている。また、米CNNや台湾の各新聞など、その他の国外メディアについては、中国政府が非合法組織として活動を禁じている気功集団『法輪功』などの「危険な」組織と同様に、サイトへのアクセスはブロックされている。
昨日の続き。中関村の案内は、京都留学中に同行の藤本さんと知り合った陳さん。湖南省にある大学の副教授(助教授)だが、現在、精華大学に短期の予定で来ている。専攻は化学。
彼が、昼ごはんをご馳走してくれた。全部で六品くらいか。散財させてしまった。湖南省の料理は、湘菜といい、こちらに来て、本格的な中国料理を初めて食べた。やはり、中国人と一緒に食事をすると、本場の料理を食べることができて、ラッキーだ。湖南省といえば、毛沢東の故郷。店内には、彼の写真が飾ってあった。
中関村の大学やいろいろな店を見て回った。彼がいないと要領を得なかっただろう。彼の日本語は余り上手ではないが、地元の人間と一緒にいるといるだけで安心感がある。
そういった点でも、気心の知れた中国人と知り合っておくことは、ひとつの財産になる。
いつも行く小白羊(シャオバイヤン)とは違う食品スーパーを覗いてみた。
規模は小さい。ショーケースに30センチ大のデコレーションケーキが六個並べてあったが、いつ売れるのだろうか。日本の中国人留学生たちに言わせると、パンは日本の方が美味しいというが、それは当然だろう。工場生産のパンとは別に、焼きたてのパンを売っていた。マフィンもあって、少し驚いた。値段は、食パンよりも高い3元。小さな紙パックの牛乳が、常温で山積みされていた。しかも、賞味期限が何故か来年一月。かなりの防腐剤が入っているのだろうか。ジャムはあったが、バターやマーガリンなどの乳製品は見かけなかった。瓶入りのキューピーマヨネーズもあった。
中国では、洋食の習慣は始まったばかり。時代の変化とともに、中華一辺倒から脱却し、世界のさまざまな食文化が広がっていくだろう。これも、かつての日本と同じパターン。コーラはすでに市民権を得ている。ロッテのガムもデザインはそのままに売っていた。すぐに、中国の流通業も日本に近づく。
北京の繁華街・西単を歩いた。
まず、中国国際航空の入っている民航営業ビルでチケットの確認をし、となりの北京図書ビルに入った。ここは、ガイドブックによると、中国最大の書店らしい。日本の紀伊国屋などの大型書店にも負けないくらいの書籍数で、店内はきれいで明るい。外国語のフロアーは圧倒的に英語の本が多い。
西単北大街と西長安街の交差する文化広塲を通り、百貨店やショッピングセンターなどを見て歩く。四つ星のホテル・広州大厦のレストランは昼食が68元。高すぎるので、近くで10元の牛肉面セットを食べた。
携帯電話やパソコンの店が集まったビルがあったが、中関村より客の入りは少ない。日本の繁華街に比べて小規模だが、ウィンドショッピングしているだけでも面白い。通りで、女性モデルが写真撮影していた。近年、ファッション雑誌が増え、モデルの数もかなり多くなったらしい。
この日、地下鉄に乗っていたら、白いコートを颯爽と着たロングヘヤーの女性が乗り込んできて、ドアの近くに立った。場違いと思ったら、テレビのコマーシャルかドラマの撮影だろう、ホームから車中の彼女を写すカメラマンなどのスタッフが目に入った。
中国も、大都市を見る限り、日本と余り違和感はなくなってきた。
中国のマイカーブームを予想して、北京郊外・高速道路の清河料金所近くに、豊田・本田・日産のカーディーラーが並んでいる。北京市内では、デパートのショールームでマツダの展示会をやっていた。昔は、タクシーはサンタナ一色だったが、今はヨーロッパだけでなく、日本など各国の乗用車も目につく。アメリカのビッグスリーも現地生産し、本格参入するだろう。
今、中国では、ベンツが100万元 (1500万円)、ホンダやフォルクスワーゲンが30万元(450万円)くらいだそうだが、特に大衆車の値下げが本格化すると、10万元くらいまで下がって、一気にマイカーブームに火がつくだろう。車社会が到来すると、かつての日本と同じように、問題も出てくる。都市部の渋滞、排気ガス問題、事故・・・・。
一方、自動車産業の裾野は広い。メーカーやディーラーだけでなく、設備装置メーカー、修理工場、ガソリンスタンド、駐車場、カー用品、高速道路運営、信号機、自動車学校、郊外型レストランやスーパーなどの流通のチェーン店など、自動車関連ビジネスが拡大する。ここにも、新しいビジネスチャンスがある。
WTOの加盟という優勝劣敗の論理が、中国という大きな市場を舞台に展開されていく。そうなると、長春第一汽車に代表される国内自動車メーカーも国際的なレベルで熾烈な競争社会に巻き込まれる。内外入り乱れての生き残りをかけた戦いがすでに始まっている。
●[参考] 中国、4月の乗用車生産台数が新記録達成
『中新網』27日付報道によると、今年4月の中国における乗用車の生産台数が前年同期比50.5%増の9万台に達し、史上最高記録となった。
中国自動車協会によると、今年に入り乗用車の生産販売が急速に増え、1月から4月までに全国の乗用車生産量は同27.6%増の26.8万台となっ
た。
今年の第1四半期における全国の自動車メーカーの乗用車販売数は同22%増の18.8万台で、乗用車の在庫は年の初めに比べ1万1000台減少している。
乗用車市場は今年の内需拡大の要因として新たに注目されており、市場環境の好転、ローンの低利率、価格の値下げ、多くの新型モデルの投入などが、顧客を引きつけ購買意欲を高めている
天安門広塲と目と鼻の先に、観光客で賑わう前門と大柵欄がある。
小物や工芸品などを5元均一で特売していた。急須が10元でたくさん売っていた。個人商店はインチキ商品が多い。宜興紫砂の茶器セットが350元。どうせ冷やかしと見ているだけだったが、「カモが来た」と思ったのか、店主が盛んに薦める。有名な作家の作品で証明書もここにある、と言っているらしい。全く興味はなかったが、「安くしろ」と言うと、暫く考えたふりをして、280元にするという。そして、証明書の説明をまたする。帰ろうとすると、それでは、200元でどうか、と言う。普通、こういった店の商品は、最初から高く設定してあり、1/3から半分が妥当な値段だ。案の定、他のちゃんとした茶器の店で同じものが128元で売っていた。
中国茶販売で有名な天福茶荘に入った。茶器を見るためだ。中国に行くと200−300元程度(3000−5000円)の急須
(中国では茶壷という)を買うことにしているが、宜興や景徳鎮など、欲しいものがたくさんあって迷ってしまう。お茶も、高級茶は500g2000元。下手すると、庶民の二か月分の給料に相当する。帰国前に、再度来ることにした。
タバコを吸っていると、小汚いおばさんが横から、そのタバコをくれ、と言った。一時間ほど前、10元だった急須がいつの間にか、高くなっている。北京の名所旧跡に行くより、このような街を歩くほうが面白い。
北京・徳勝門と昌平を結ぶ345支線のバスは、びっくりするほど、すさまじい。まさに椅子取りゲームだ。
夕方六時半、北京市内から昌平へ帰るため、いつものように30分〜1時間待ちを覚悟して、鉄柵に沿って列に並び始めた。約10分おきに2輌連結のバスが発車する。一台で座れる人数は、30人くらいか。急ぐ者は立って帰ることを承知して乗り込む。このグループは別の列があり、とりあえず座席が埋まってから、係員が乗せる。そして始発の時点から、すでに満員の状態でバスは出発する。
次の空車のバスが来たので、係員がまず列待ちの鉄パイプの門を開けた。並んでいた人間が一斉にバスに向かって走り出した。下手すると、せっかく並んでいても、あぶれてしまうからだ。そのときは、次を待つほかない。バスはドアが3つあり、どのドアから乗るかも座席を確保するためのひとつの運。
しかし、大混乱が起こった。急ぐ者の方の門を係員が確認せずに早めに開けてしまったからだ。窓から乗り込もうとする若者もいた。なんとか座れたが、まさに日本の終戦時の買出し列車と一緒ではないか。
しかし、これで事件は終わらなかった。高速道路に乗る前にひとつバス停がある。すでに満員なのに、帰宅時間ということもあって、次々と乗り込んでくる。ほとんどの客が終点の昌平までのため、降りるものはいない。ドアがなかなか閉まらない。車掌が、降りろと叫んでいる。しかし、客たちは無視。山手線のラッシュどころではない。まさに、ぎゅうぎゅう詰め。子供や老人には危険すぎる。
10分ほど、押し合いへしあいがあって、やっとバスは動き始めた。車掌は、この超満員のバスの中で切符を売って回る。毎度のことと手馴れたものだ。大半の者が20元の定期券。5回乗れば元が取れる。昌平と北京の間には、鉄道があるが、夕方の昌平行きは、北京北駅を四時半に出発するため、あまり役にたたない。タクシーだと100元以上かかる。実質的には、バスが唯一の交通手段。それにしても、ちょっとした係員のミスが混乱の原因になる。
しかし、本質的な問題は、交通インフラの整備。せめて、鉄道やバスの本数を増やすせば緩和される気もするが、この椅子取りゲームはいつまで続くのか。
本当に、中国は人が多すぎる。
私見、中国人とは・・・・・
(1) 自己主張しないと生き抜いていけない。日本以上の競争社会の中で生きている。
(2) 貧富の差が大きい。老いた乞食と高級マンション。
(3) 国際的に見て優秀な人間も多い。大学生世界コンピュータコンテストで、上位三校を中国の大学が独占した。
(4) ホスピタリティの分野では、発展途上。品質、サービス、清潔感、雰囲気などのレベルは概して低い。
(5) 進取の気質を持っている。ファッション、技術、西側の文化などにすぐに同化する。
(6) 組織の中では、長いものに巻かれろ主義。面倒なことには関わりたくない。
(7) 男女平等。職業差別なし?「しとやか」を、中国語の一表現では、「文雅」という。
(8) 日本人より、アメリカ人に近い感じ。個人主義。
(9) 親しくなると、好朋友 (ハオ・ポンヨウ)。そこまで、信用してもらうのが難しい?
(10) 拝金主義。古今東西、本性は、みんな、そうだが。
(11) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかし、このまま経済発展が続くと、都市部の人間は近い将来、西側並みに近づくだろう。まさに「衣食足りて礼節を知る」だ。
北京の印象を一言で言うと、「潤いのない都市」。
春は強い風と黄砂で、ほこりっぽい。雨もほとんど降らず、文字通り、潤いはない。無計画な自然破壊の影響か、砂漠化の拡大で、数十年後に遷都の話も出ているらしい。周囲を圧倒するような高層ビルや高層マンションが続々と建設されているが、無機質な物体の塊にすぎないとも言える。エリートたちは勝ち残るために、技術や知識を身につけようと一心不乱。庶民は豊かになろうと、金になることはなんでもする。「人情」と言う言葉は、ここでは死語になりつつあるのか。
歴史と伝統、文化を積み重ね、政治の中心地でもある北京。王府井や西単は、日本の繁華街に比べると規模は小さい。万里の長城、頤和園、天壇公園、天安門広場、故宮などの名所旧跡は、おのぼりさんや外国人観光客が多い。
この北京がいま、世界中に大きな影響力を持ち始めた。改革開放政策で中国の未来の舵取りをする中南海
(共産党のトップたちが住む)の要人たち。外資を導入し、決断力と行動力で世界進出を図る企業家たち。中関村に象徴される優れた頭脳を持つ研究者たち・・・・・。しかし、急速な経済発展の陰に、「潤い」を無視した落とし穴が隠れているような気もする。
中国サイトのデータによると、現在中国には30万人の海外留学生がおり、帰国したら、その6割が北京で事業をしたいと希望している。また中国科学院の最新の研究結果によると、中国人の「人材資源能力」の評価中、北京人の能力レベルは最高で、全国平均の3倍の値を示している。
大勢の留学生や大学生、首都経済の急速な発展による高級人材の流入は北京人の能力レベルの向上を促した。統計によれば、過去5年間に、北京で博士号を持つ人材は5倍、修士号は2倍、35歳以下の青年科学技術者は25%、それぞれ増加した。また、去年1年だけで北京で発明された特許数は、前年と比べ4969件増加した。
専門家によると、「人材資源能力」は、体力、技能、知能の3種類に分けられる。それぞれに対する投入比は1:3:9で、収益比は1:10:100。その専門家によると、「ただ体力しかない一人の文盲の貢献度は、一人の技術を持つ職人の10分の1で、一人の科学者の100分の1にしか相当しない。」という。
中国では教育の無い人を「没有文化的人」と呼ぶ。教育のある人は強い優越感を、教育の無い人は強い劣等感を持っているように感じる。そうした風潮は、こうした教育程度によって人の価値、社会に対する貢献度を決めてしまうような社会体質にあるのかもしれない。優勝劣敗、弱肉強食という厳しい現実が益々強まっている気がする。
いま、中国でも西側の食習慣が少しずつ普及し始めている。長春や大連など北の方では餃子のチェーンがあるが、北京でも飲食関係のチェーン店や西側のレストランシステムが目につき始めた。マックやケンタッキーフライドチキンだけでなく、それに名前をよく似せた店もある。しかし、まだファーストフードや牛肉面などの単品レベルで、コーヒーショップ(日本でいうファミリーレストランのチェーンは見かけない・・・・?)。
繁華街で見かけた台湾のしゃぶしゃぶの店と仙踪林という喫茶店のチェーンが流行っていた。特に、仙踪林はすでに100店以上の出店を中国で果たしている。メニューは軽食とソフトドリンク。日本人の眼から見ると別にとりたてて印象はないが、内装、従業員のユニフォーム、トレイのサービス、メニュー作りなどが中国の人にとっては目新しいのだろう。学校の昼食で食べる麺類が3元の時に、最低価格の緑茶割りレモンジュースが14元、結構高いが、若者には人気があるらしい。コーヒーチェーンのスターバックスも出店を増やしている。(長いスパンで見たとき、かつての日本がそうであったように、コーヒービジネスは豆の栽培から販売まで、ビッグビジネスの可能性は十分にあるように思える。)
中国に紹介されていない業態や食材、メニューはまだ多い。また日本で成功したから、中国で成功するとも限らない。業界でいう品質、サービス、清潔さ、雰囲気に加えて、 価格設定もポイントだ。スーパーには、ネスカフェなどのインスタントコーヒーが並んでいる。スパゲティやピザなどの本格的出店も、いずれ表面化するかも知れない。日本に留学していた知人が、美味しいパンやスバゲティであれば中国でも必ずはやるだろうと言っていた。
ところで、すき焼きは食べるだろうか。ある学生は、日本の刺身は残酷だ、と言っていたが、大連などの港町では徐々に庶民に浸透している。北京ではまだ親しみのない新鮮な海の魚も、食材として拡大していき、日本の市場に影響を与える日が来るかもしれない。このことを突き詰めていくと、消費量が膨大な国だけに、日本の食文化の導入から世界の食糧問題まで興味は広がる。
かつての日本がそうであったように、所得の向上、生活内容の西洋化、夫婦共稼ぎ、車社会の到来などに伴い、チェーン化のためのノウハウやシステム、人材教育などがそろえば、 食生活の変化とともに、中国のフードビジネスもこれから成長の可能性は大いにある。
ところで西単にあった吉野家はどういう状況だろう。上海や青島で見かけた回転寿司はうまく行っているのか。
世話係の陳さんと、ビールを飲みながら話した。彼の日本留学時代のこと、学校のこと、日本語科の学生のこと、中国のこと、中国人女性のこと・・・・・。
一番、印象に残ったのは、中国人の気質・国民性について。 2008年の北京オリンピックに向けて、かつての東京オリンピックと同じように、中国でも北京を中心にインフラの整備が進み、街も今以上にきれいになるだろう。しかし、中国人の気質や国民性は、そう簡単に変わらない。自己中心主義や面子重視が社会的規範よりも優先する。そのためには、多分野における教育がますます必要になってくる。国が発展するためには、国民ひとりひとりの意識変革が必要だ。共産党の一党独裁も当分続くだろうし、強いリーダーシップのある政治家が出てくることも期待できない。時間をかけて、中国が国際的に認められる国家となることを待つほかない。
日本留学時代、彼は、新聞配達、居酒屋、清掃、水商売の呼び込み、電器工事など、いろいろなアルバイトをした。ある経営者から、中国人を中傷する言葉も聞いた。しかし、その経緯の中で、彼は少なくとも、平均的中国人以上に、広い視野を持っている。
留学時代に、日本の教師から言われた次の言葉が印象に残っていると言った。「ロシアが凋落したのは、冬の日に急いで服を脱いだからだ。ゆっくりと時間をかけて脱いでいけばいい」。服とは、社会主義のことか。長い歴史のある国だ。あわてることはない。
時代は変わる。中世以来の世界の覇権の歴史は、オランダ、イギリス、アメリカ、日本、そして中国へ。もはや、日本に黄金の日々は戻ってこないかも知れない。日本の工場は中国へ移り、中国から安くて良い物が押し寄せ、日本のデフレは止まらない。失業者は増え続け、ますます不況のスパイラルへ。政府は景気が底を打ったと喧伝しているが、果たしてそうか。
これからは中国の時代?中国は今、外資導入による改革開放・経済発展で、自信を持ち始めたかに見える。IT技術やバイオの分野で最先端になる日も近いと言われている。中国の人たちの貧しさから脱しようとするエネルギーが、歴史の風を受けて、政治、経済、社会、そして世界を変える?
かつて、毛沢東は「もしアメリカが攻めてきても、人民の海の中で溺れるだろう」と言った。しかし、広大な国土の中で十二億を越えるといわれる、この圧倒的な人口の多さが、逆に致命傷にもなりかねない。食料・エネルギー、赤字の国営企業、銀行の不良債権、共産党一党独裁、少数民族の自立、法輪功に代表される思想や宗教の弾圧、環境破壊、都市部と農村部の貧富の差、台湾問題、拝金主義・・・・。現実には解決すべき多くの課題が山積している。
食堂で、ワールドカップの中継に見入る学生たちの将来は、果たしてどうなるのか。そして、日本は・・・。