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新華書店
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多忙なのに・・・ |
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隹さんはやはり忙しかった。夕食に劉さんという人を呼び、一緒に食事をした。その後、上司と思われる人が宿泊しているホテル(中国人がビジネスで利用する。古くて暗い)の部屋を訪ねて少し話をし、大連博覧大酒店というホテルへ行った。劉さんは、このホテルの営業担当者だった。どうやら次の日に、このホテルで商品説明会をやるらしい。そう言えば、昼間からしょっちゅう携帯電話をかけていた。彼は行動的でよくしゃべる。ホリデイインにチェックインしようとしたとき、このホテルのVIPカードを持っていた。夕食に使ったホテルの老板(経営者)や従業員とも親しかった。よく接待で使っているらしい。そのため、一時期は酒をよく飲んでいたらしいが、今は肝臓を痛めている。それでも、初対面の日本人のために時間を割いてくれた。 |
ホテルに戻ったのが11時。テレビでNHKの衛星放送を見る。朝からずっと中国漬けだったので、日本語を耳にした時は、すこしホッとした。 |
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●二日目 |
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再び街へ |
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朝6時半。目を覚まして16階の部屋の窓を開けると、大通りを往来する車や人の姿が目に入った。左手にテレビ塔、右手は大連駅。日曜の朝というのに、もう沢山の人出がある。 |
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隹さんが業務で案内できないため、運転手をつけてくれた。彼もやはり日本語ができない。9時半から大連港、老虎灘、北大大橋(北九州市と大連市の友好都市締結記念で作られた)を回り、友誼商店で買い物。隣の富麗華大酒店の玄関の前にリムジンが停っている。その横には高層のシャングリラホテルが建設中だ。知人に頼まれていたザーサイがなかなか見つからず、百貨店、スーパー、食品店を回り、最後に連れていってもらったのが労働公園地下の市場。体育館ほどの広さに、新鮮な魚や香辛料、海産物が所狭しと並べられている。一般の旅行客は多分ここを訪れることはないだろう。昼食は、街中の小さな食堂。野菜炒めとイカの天ぷら、水餃子、それに唐辛子の効いた漬物などを食べる。旅行の楽しみは、このような生活感のある場所に行き、庶民の食事を味わうところにある。 |
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刎頚の交わり |
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3時に約束していた李さんが、ホテルの部屋を訪ねてきてくれた。彼は服装公司の日本担当者で、顔つきは日本人と言ってもおかしくない。留学経験がないのに、日本語がとてもうまい。そう言えば、昨日の隹さんは英語が堪能だ。中国の語学教育水準の高さを実感する。2日目から一人で観光すると聞いて、日本に帰化した中国の知人が李さんを紹介してくれた。この日は日曜日だったが、国慶節から連休を取ったため、代わりに出勤しているとのこと。仕事を抜け出して会いに来てくれたのだ。彼が言った。「今日は私に任せてください」「なぜ、そんなに親切にしてくれるのですか」と尋ねると、「中国には、刎頚の交わりという言葉があります。あなたは私の友人の知り合いですから当然です」という返事。嬉しかった。 |
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中山公園 |
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一旦、彼が会社に戻り、5時半にまた来ると言うので、それまでホテル周辺をぶらぶらと歩いた。大連駅から中山公園へ。意外と近い。大連駅は、東京の上野駅によく似ている。切符を買う客で賑わっている。雑貨、韓国風焼き鳥、服、果物・・・、駅近くの自由市場も面白い。中山公園は多くの人たちが集まっている。数十人の人たちがそれぞれ向き合って何かを話している。あちらこちらに座り込んで休んでいる人やスケボーで遊んでいる若者たちがいる。丸い公園から放射線状に道路が伸びている。その周辺を中国銀行(旧横浜正金銀行)、大連賓館(旧大和ホテル)、大連人民銀行など、日本人の手によって造られた建物が、今も当時の趣きを残している。 |
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大いに満足 |
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うにが一杯 |
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李さんが大連博覧大酒店(Grand Hotel Dalian)の最上階レストランで夕食をご馳走してくれた。殻を割っただけのウニ、鮑と野菜の炒め物、すっぽんのスープ、上海蟹・・・。いずれも量がたっぷりあった。レストランの窓から下を見ると、まだ7時過ぎというのにビルの電気がほとんど消えている。日曜日だからと言うわけではなく、いつもそうらしい。2009年に完成予定の国家プロジェクト「三峡ダム」を思い出した。 |
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●三日目 |
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有難う |
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朝9時半に李さんがホテルまで迎えに来て、最後の買い物に付き合ってくれた。買ったのは土産用の八宝菊花茶と竹笛。八宝菊花茶は最近中国で健康茶として話題を呼んでいる。李さんは、その後、空港まで送ってくれた。 |
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今回の大連旅行で一番印象に残ったこと。それは、近代的なビルの建設ラッシュでも、本場の中華料理でも、そして急速に変わる庶民の生活でもない。友達を大切にする中国の人たちの気持ちだ。隹さんと李さんがいなければ、味気ない旅行になっていたに違いない。(完) |
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