大連(1) 1997.10.4〜10.6

北方の香港を目指す大連。見るべきところはほとんどない。しかし、この港町はなじみやすい。他の都市とは違う生活感がある。

中山広場
●一日目
 
北方の香港
 
  江沢民政府は七月の香港返還に続き、この秋の第十五回共産党大会も滞りなく終了させた。多くの課題を内包しながら、21世紀の経済大国に向かってまい進する中国。その牽引役として「北方の香港」を目指す大連とは、どのような都市なのか。
  ガイドブックによると、遼東半島の南に位置する大連は青泥窪(チンニワ)と呼ばれる小さな漁村だった。現在のようになったのは、1894年に帝政ロシアが租借し、南満州鉄道の起点として港湾建設を始めてからで、街の名もロシア語のダーリニー(遠方の)に由来する。その後は日露戦争で勝利した日本が利権を受け継ぎ、以後40年間日本の大陸進出の拠点となった。現在も中国有数の対外貿易港として、その重要な役割を果たし、特に近年、経済技術開発区を設けて外国企業を誘致し始めてからは、急速に経済発展が進んでいる。

大連はビジネスの街?

 グアムやシンガポール行きの便が出発すると、それまで若者や女性で賑わっていた空港待合室が一変した。土曜日というものの、自分のようなラフな格好をした者はわずかで、大半はスーツ姿の中高年男性。北京や香港と違い、大連はビジネス都市であることを出発前から予感する。
 
早口の中国語

 大連周水子国際空港に、二人の中国人男性が出口付近で自分の名前を書いたカードを掲げて待っていた。中国の大手メーカー大連事務所に勤める隹(ツゥイ)さんと運転手だ。彼らは日本語ができない。自分が片言の中国語で挨拶すると、隹さんの早口の中国語が反応する。
 我々を乗せた第一汽車製の高級車「紅旗」が4車線の道路をホテルに向かう。街並みはきれいで、遠くの方には高層ビル群が見える。都心まで30分くらいか。ホテルに近づくにつれ、道路を横断する人や自転車の数も増えてきた。しかし、疾走する車の群れの中でも不思議に事故は起こらない。この風景は相変わらずだ。
 ホテルは大連駅の真ん前に立地する4つ星の大連九州假日飯店(ホリデーイン)。帰国の日、チェックアウトを終えてロビーでくつろいでいると、日本人女性が近づいてきて、ホテル滞在中のアンケートを書いてくれという。市内には富裕な中国人や外国人を対象とする多くの高層ホテルが建築ラッシュで、老舗のこの世界的チェーンホテルも市場経済の波に洗われつつある。
 
建設ラッシュ
没有意思(つまらない)
 
  荷物を部屋に置いて、最初に星海公園に向かった。ここは、かつて日本人が「星が浦」と読んだ海水浴場で、大連旅行の数少ないコースに入っている。しかし、何にもない。水族館をぐるりと見ただけで、すぐに出てきた。隹さんが「どうだった」と訊くので、「つまらなかった」と答えると、少しがっかりした様子だった。言葉不足は仕方ないとしても、悪いことをした。
 
人々の暮らしが少しずつ変わってきた
 
  街に戻り、買い物に行った。海産物や雑貨を売る自由市場は人があふれて活気がある。2年前に北京へ行った時、なぜ中国の女性はグレー系統のズボンしか穿かないのだろうと不思議に思ったが、若い女性たちのファッションや化粧がカラフルになってきた。口紅を塗り、しゃれたスカートを穿いた女の子たちが街を闊歩する。タクシーはすでに庶民の足だ。百貨店や友誼商店は外国の影響か、上海の第一百貨店の時と違い、販売員の制服も統一され、商品も豊富だ。美容院、靴屋、洋品店・・・、日本と少しも変わらない。ただ新華書店は相変わらず暗くて狭い。本の量や種類も少なく、紙質も良くない。松下幸之助をはじめとする多くのサクセスストーリーの本があった。思想や情報の規制は変化しつつあるのか。

新華書店

 
多忙なのに・・・

  隹さんはやはり忙しかった。夕食に劉さんという人を呼び、一緒に食事をした。その後、上司と思われる人が宿泊しているホテル(中国人がビジネスで利用する。古くて暗い)の部屋を訪ねて少し話をし、大連博覧大酒店というホテルへ行った。劉さんは、このホテルの営業担当者だった。どうやら次の日に、このホテルで商品説明会をやるらしい。そう言えば、昼間からしょっちゅう携帯電話をかけていた。彼は行動的でよくしゃべる。ホリデイインにチェックインしようとしたとき、このホテルのVIPカードを持っていた。夕食に使ったホテルの老板(経営者)や従業員とも親しかった。よく接待で使っているらしい。そのため、一時期は酒をよく飲んでいたらしいが、今は肝臓を痛めている。それでも、初対面の日本人のために時間を割いてくれた。
 ホテルに戻ったのが11時。テレビでNHKの衛星放送を見る。朝からずっと中国漬けだったので、日本語を耳にした時は、すこしホッとした。
 
●二日目
 
再び街へ
 
  朝6時半。目を覚まして16階の部屋の窓を開けると、大通りを往来する車や人の姿が目に入った。左手にテレビ塔、右手は大連駅。日曜の朝というのに、もう沢山の人出がある。
大連駅 大連港 市内電車
  隹さんが業務で案内できないため、運転手をつけてくれた。彼もやはり日本語ができない。9時半から大連港、老虎灘、北大大橋(北九州市と大連市の友好都市締結記念で作られた)を回り、友誼商店で買い物。隣の富麗華大酒店の玄関の前にリムジンが停っている。その横には高層のシャングリラホテルが建設中だ。知人に頼まれていたザーサイがなかなか見つからず、百貨店、スーパー、食品店を回り、最後に連れていってもらったのが労働公園地下の市場。体育館ほどの広さに、新鮮な魚や香辛料、海産物が所狭しと並べられている。一般の旅行客は多分ここを訪れることはないだろう。昼食は、街中の小さな食堂。野菜炒めとイカの天ぷら、水餃子、それに唐辛子の効いた漬物などを食べる。旅行の楽しみは、このような生活感のある場所に行き、庶民の食事を味わうところにある。
 
刎頚の交わり
 
 3時に約束していた李さんが、ホテルの部屋を訪ねてきてくれた。彼は服装公司の日本担当者で、顔つきは日本人と言ってもおかしくない。留学経験がないのに、日本語がとてもうまい。そう言えば、昨日の隹さんは英語が堪能だ。中国の語学教育水準の高さを実感する。2日目から一人で観光すると聞いて、日本に帰化した中国の知人が李さんを紹介してくれた。この日は日曜日だったが、国慶節から連休を取ったため、代わりに出勤しているとのこと。仕事を抜け出して会いに来てくれたのだ。彼が言った。「今日は私に任せてください」「なぜ、そんなに親切にしてくれるのですか」と尋ねると、「中国には、刎頚の交わりという言葉があります。あなたは私の友人の知り合いですから当然です」という返事。嬉しかった。
 
中山公園
 
 一旦、彼が会社に戻り、5時半にまた来ると言うので、それまでホテル周辺をぶらぶらと歩いた。大連駅から中山公園へ。意外と近い。大連駅は、東京の上野駅によく似ている。切符を買う客で賑わっている。雑貨、韓国風焼き鳥、服、果物・・・、駅近くの自由市場も面白い。中山公園は多くの人たちが集まっている。数十人の人たちがそれぞれ向き合って何かを話している。あちらこちらに座り込んで休んでいる人やスケボーで遊んでいる若者たちがいる。丸い公園から放射線状に道路が伸びている。その周辺を中国銀行(旧横浜正金銀行)、大連賓館(旧大和ホテル)、大連人民銀行など、日本人の手によって造られた建物が、今も当時の趣きを残している。
 
大いに満足
うにが一杯
 李さんが大連博覧大酒店(Grand Hotel Dalian)の最上階レストランで夕食をご馳走してくれた。殻を割っただけのウニ、鮑と野菜の炒め物、すっぽんのスープ、上海蟹・・・。いずれも量がたっぷりあった。レストランの窓から下を見ると、まだ7時過ぎというのにビルの電気がほとんど消えている。日曜日だからと言うわけではなく、いつもそうらしい。2009年に完成予定の国家プロジェクト「三峡ダム」を思い出した。
 

●三日目  
 
有難う
 
 朝9時半に李さんがホテルまで迎えに来て、最後の買い物に付き合ってくれた。買ったのは土産用の八宝菊花茶と竹笛。八宝菊花茶は最近中国で健康茶として話題を呼んでいる。李さんは、その後、空港まで送ってくれた。
 
 今回の大連旅行で一番印象に残ったこと。それは、近代的なビルの建設ラッシュでも、本場の中華料理でも、そして急速に変わる庶民の生活でもない。友達を大切にする中国の人たちの気持ちだ。隹さんと李さんがいなければ、味気ない旅行になっていたに違いない。(完)

The trip to China
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