長春(2) 2008.4.25〜4.28

かつて満州と呼ばれた中国東北部は、日中の歴史上、忘れがたい重みを残す土地である。そのひとつ長春は、7年前訪ねた時より、ずいぶんきれいになったが、地理的な理由もあり、中国沿岸部各都市と比較すると、その発展のスピードは少し緩慢な印象を受ける。そういう背景の中、寝台列車、料理、公園、広場、車窓から見た光景など、今回も印象深い旅となった。

参考大連・長春への旅 (2001.3.31-4.7)

朝6時の長春駅

【一日目】

急きょ決まった長春旅行


仕事が一段落し、久しぶりに一緒に食事をしようと、知人のYさんに電話すると、「兄が昨日から長春に戻っているので、今夜の夜行で自分も帰省する」という返事。彼女の兄・Kさんとは、去年、国慶節の休暇で福岡に帰った時に会ったが、「いい機会だから、長春をもう一度見てみよう」と長春行きを即決した。

2001年3月、長春へ元同僚と行った時、前日、大連で市政府の人にご馳走になった白酒(バイジュー)が効きすぎて二人とも体調をくずし、ほとんど観光できなかった。(YさんもKさんも福岡に留学経験があり、二人とは、そのとき知り合った。現在、Yさんは大連、Kさんは福岡で暮らしている)。

夜10時前に大連駅の待合室でYさんと落ち会い、三泊四日(車中泊2日)の長春への旅が始まった。


夜10時07分の寝台特急に乗る 待合室は乗客でいっぱい

寝台特急で長春へ


列車のチケットは買えたが、週末のせいか、寝台は3段ベッドの一番上。鉄パイプの階段を上るのは、高齢者にはかなりの負担だろう。料金は167元(一番下だと175元とわずかに高い)。日本のようなカーテンはなく、すぐ横で知らない若い女性が普段着のまま寝息を立てることもある。列車は18両連結で、夜10時07分大連発、翌朝6時前長春着。8時間ほどかかる計算だが、現在、中国全土で高速鉄道計画が推進されており、3〜4年後には、大連〜長春間(600〜700キロ)の所要時間が、現在の半分以下の3時間程度に短縮されると聞いた。

寝台車は、思っていたよりもきれいだった。日本では、現在、どのくらい寝台車が走っているか分からないが、広大な中国の場合、当面なくなることはないだろう。それに、全ベッド指定席で周囲の目もあり、長春までノンストップのため、荷物の盗難もそう心配しなくてよさそうだ。動き始めて40分ほどして車内の電灯が消されると、雑談していた乗客たちはそれぞれのベッドに入って行った。

翌朝5時過ぎ、乗客の話声で目が覚めた。すでに起きて、通路側の椅子にすわり、暁の白みかけた車外を眺めている人もいる。まもなく、長春駅に到着だ。


大連から長春まで約7時間あまり 寝台車はきれいだった

【二日目】

朝食をご馳走になった


改札口を出て、長春駅の外観を写真に撮る。赤い駅名の文字は、以前は、どこの駅や空港も毛沢東の書体だったが、時代の変化に伴い、今は違うように思える。時計の針は朝6時。

タクシーで、Yさんの実家に向かう。約20分で到着。ドアを開けると、Yの兄・Kさんが待っていた。彼らの母親や、日ごろ母親の世話をしている、おいごさんもいた。おいごさんの作ってくれた朝食をご馳走になった。トウモロコシの入った白いごはんや野菜の炒め物、サラミ、それに、みじん切りのニンジンを加えたたまご、Yさんが大連から買ってきたワタリガニなどを、みんなで食べた。デザートとして、これも彼女が買ってきたイチゴもいただいた。大連のいちごは、甘くて美味しいとのこと。去年、糖尿病で亡くなった父親と同様、74歳の母親も同じ病気を患っている。耳も少し遠いようだ。


みじん切りのニンジンを加えたたまご

吉隆坡大酒店


この日は、市内のホテルに宿泊することにしていた。5つ星のシャングリ・ラホテルは一泊1000元、その他の4〜5つ星も600〜700元するらしい。Yさんが電話でホテルと交渉し、4つ星ホテル・吉隆坡大酒店(MAXCOURT HOTEL)を朝食付き405元でとってくれた。押金(預かり金)は800元、何も利用しなければ、差額がチェックアウト時に戻ってくる。この押金は、中国だけの制度だろうか。宿泊費の何倍も預かるホテルもあるらしい。

長春吉隆坡大酒店は、マレーシア資本で市中心部にあり、シャングリ・ラのすぐ近く。しかし、シャングリ・ラに比べると、やはり、全体的に質は劣る。部屋の広さは、日本のビジネスホテルより少し広め。インターネット設備はあるが、有料かどうかは不明。少し狭い浴室の備品の一部は有料。ミネラルウォーターのエビアンは1本20元。朝食のサービスも含め、全体的な印象は普通。


長春吉隆坡大酒店 長春吉隆坡大酒店内の竹細工 シャングリ・ラホテル

パスポートを忘れた


ホテルの予約をするとき、パスポートを忘れてきたことに初めて気づいた。日常生活を大連で送っているせいか、日本国内を旅行するときの感覚だった(旅行中、トラブルがなかったことはラッキーだった。)。

自分は外国人であり、しかも、ここは中国、ということに全く意識がなかった。パスポートがないと宿泊できないのではないか、という不安をよそに、Yさんは自分が泊まることにして、この場をしのいでくれた。電話予約やホテルフロントでの彼女の交渉術はすごい。


長春餃子楼、そして白酒

昼食は、みんなで「長春餃子楼」に行った。多くのメニューが出たが、印象的だったのは、スパイシーな羊肉のから揚げ。肉も柔らかく、美味しくて、長春産の雪花ビールがすすむ。

Yさんの親戚のおじさんが、アルコール度52度の「楡樹銭」という10年ものの白酒を勧めてきた。普段、あまり酒を口にしないというYの兄・Kさんも相伴にあずかった。結局、3〜4人で1本が空になった。7年前のあの悪夢(上述)の白酒に比べれば、量は少なかったが、それでもかなり効いている。


長春餃子楼

路上の老人

みんなと別れ、白酒の酔いを醒ますため、しばらくホテルで休んだ後、Kさんと市中心部の繁華街に出かけた。

シャングリ・ラを左手に少し歩いた路上で、老人がチョークでたくさんの文字を書いていた。達筆だ。驚いたのは、その文字を上下さかさまに書いていること。中国の公園では、バケツに水を入れ、大きな筆で石磐に文字を書いているのを見かけるが、これは初めて。漢字文化の奥深さを感じる。

目の前の大通りは、かつてスターリン通りと呼ばれた人民大街。一本道がまっすぐに伸びる。中国人民銀行の石作りの建物は、かつて、国民党が占拠していた。その先が工人文化宮。ここに事務所をもつKさんの友人は、改革開放後の混乱した時代をうまくとらえ、今や莫大な財をなしているとのこと。人民広場周辺は、この他にも歴史的建築物が多く、ロシアや日本の影が残っている。


中国人民銀行(旧偽満中央銀行) 老人が書いているのは、上下さかさまの文字
工人文化宮 工人文化宮
工人文化宮天井の照明 「発展こそ道理」(ケ小平)
人民広場。長春の中心 吉林省賓館
長春は犬(狗)の肉を食べる朝鮮族も多い 病だれの中に肉を加えるの字。肉いっぱい?

洗浴


中国では、シャワーはあっても、浴槽のある家庭は、そう多くない。そういった事情もあり、最近は、日本と同じようなサウナ付きの大型銭湯がホテルの中に増えてきた。入浴料、わずか20元。

盲人マッサージは効いた


入浴後、すぐ近くの盲人マッサージに行った。Kさん兄妹が卒業した第五高校が向かいに見える。盲人マッサージといっても、経営者が目が不自由で、マッサージしてくれたのは健常者。目周辺から始まり、全身を1時間ほどマッサージ。肩と太ももは疲れがあるのか、少し痛かったが、ビンビンと効く。気持ちよかった。大連では100元以上するが、ここは30元。



【三日目】

旧国務院(八大府)


翌日午前中は、Kさんたちが父親の墓参りに行くということで、1人で市内観光に出かけた。今から思えば、家族の墓参りの予定にに押し掛けた形となり、大変世話をかけてしまった。

まず、前回も訪れた偽満皇博物院に行ってみたが、要人が来るのだろうか、パトカーが10台以上止まり、博物院周辺は公安がたくさん集まっていた。旅順の水師営もそうだったが、日本人観光客をあてにしているのだろう、入場料80元と高く、時間もあまりなかったので、結局入るのをやめた。

タクシーで、昔、関東軍が支配していた八大府へ。現在、吉林大学第一病院となっている旧軍事部と、その向かいの旧国務院に行った。前回は、旧国務院3階に入れたが、今は見学できない。1階の土産物屋で、100元(学生は50元)という「長春偽満歴史旧址」のDVDを30元で買った。


偽満皇博物院 偽満皇博物院
旧国務院 旧国務院
旧国務院 吉林大学第一病院(旧軍事部、1935年建造)

文化広場


旧国務院から道を隔てて、文化広場がある。市民たちが、凧上げやローラースケートなどで、春の休日を楽しんでいる。一番奥は地質博物館。ここも古い建物。日本侵略時の遺跡。


文化広場。凧上げやローラースケートを楽しんでいた。

南湖公園

Kさんから帰宅したという電話が携帯にあり、合流して、車で初めての南湖公園へ。広い園内には、樹木と花、そして湖。福岡の大壕公園にも少し似ているが、こちらのほうがもっと広い。一緒に行ったKさんたちはみんな、母親に気を使っている。優しくて親思いだ。家族の温かさを改めて実感する。

南湖公園は市民の憩いの場所。広い。

功夫鍋


夕食は「功夫鍋」という店。自家製の無農薬野菜を使ったサラダ、だご汁みたいなスープにつけて食べる薄く巻いた皮、そして、兎と豚の肉を野菜と一緒に醤油で炒めた鍋…。どれも、今まで口にしたことのない料理だった。舌の肥えたYさんが案内してくれた。


人気店らしい 兎の肉も柔らかかった
有機野菜のサラダ みそ味のスープにつけて食べる

親思う心に勝る親心


食事から戻った。今日で長春旅行も終わる。22時過ぎの大連行き特快列車まで、時間があった。テレビを見ながら、ひまわりの種を食べ、お茶を飲む。夫に先立たれた寂しさ。そして、自分の元を離れ、遠くの地で暮らす息子や娘を思ってか、母親がリンゴや梨、牛乳をみんなに勧める。年をとっても、子を思う親の愛情は、子が親を思う以上に大きいのだろう。


【四日目】

朝日に遭遇

大連に戻る時間になった。Kさんは、あと四日ほど残る。名残を惜しみながら、二人とも翌日から仕事があるため、Yさんとタクシーで長春駅へ向かう。中国各地への深夜列車が多いのか、帰りも待合室は乗客でいっぱい。

今回の寝台は一番下。昼間、歩き疲れていたせいか、車内が消灯すると、すぐに寝入った。そして、翌朝。目を覚まし、窓のカーテンを開けると外は少し明るい。時計を見ると5時。通路側のガラス越しに目をやると、オレンジ色の光が見えた。朝日がまさに地平線から昇ろうとした瞬間だった。思わずデッキへ。大連郊外の普蘭店駅を過ぎたところだ。このあたりは、まだレンガつくりの古い家屋と畑、そして白樺の木しか見えない。

終戦直後、旧満州の引揚者たちが満員の車内からみた光景と同じかと、少し感傷的になる。彼らは、追われる不安と郷愁の念という複雑な思いのなかで、この光景を眺めたのだろうか。めったにないチャンスだと思い、ずっと、車窓から外を見ていた。そして、三十里、南関嶺…と、列車は大連に近づいていく。


深夜列車が中国各地に向けて出発する 旧満州の名残りをほうふつさせる畑と朝日

料理、歴史、そして家族


長春は、日本統治時代、新京と呼ばれた。それから80年ほどの時が過ぎ、中国は国共内戦、文化大革命、改革開放という節目を経て、今や世界に多大な影響力を与える国に変身した。今回の長春への旅は、浮わついた観光と少し趣を異にし、足を地につけた有意義な時間だった。


The trip to China
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