北京(2)  2002.5

→ 北京(1) 1995.10.5〜10.9

歴史と伝統、文化を積み重ね、政治の中心地でもある北京。王府井や西単は、日本の繁華街に比べると規模は小さい。万里の長城、頤和園、天壇公園、天安門広場、故宮などの名所旧跡は、おのぼりさんや外国人の集まる代表的な観光地。今回は市内を中心に回ったが、
北京市内を見る限り、日本と余り違和感はなくなってきた。

頤和園 (いわえん)

北京市街の地図  北京日記(参考)

前門

地下鉄・天安門東口で下車。地上に上がると、七年前に初めて訪れたときと同じく、天安門広場が目に入った。左手に歴史博物館と革命博物館、右手に人民大会堂。中央に英雄革命記念碑、毛沢東記念碑も見える。西長安街の手前は、故宮・紫禁城の入り口だ。天安門広塲と目と鼻の先には、観光客で賑わう前門と大柵欄がある。今回は、紫禁城の中には入らず、天安門広場から前門に向かった。

バイキングの店で昼食。十五元。ビールは相変わらず、冷えていない。前門は、上野のアメ横といった感じか。安い商品が通路に所狭しと並んである。小物や工芸品などを5元均一で特売していた。急須が10元でたくさん売っていた。個人商店はインチキ商品が多い。宜興紫砂の茶器セットが350元。どうせ冷やかしと見ているだけだったが、「カモが来た」と思ったのか、店主が盛んに薦める。有名な作家の作品で証明書もここにある、と言っているらしい。全く興味はなかったが、「安くしろ」と言うと、暫く考えたふりをして、280元にするという。そして、証明書の説明をまたする。帰ろうとすると、それでは、200元でどうか、と言う。普通、こういった店の商品は、最初から高く設定してあり、1/3から半分が妥当な値段だ。案の定、他のちゃんとした茶器の店で同じものが128元で売っていた。タバコを吸っていると、小汚いおばさんが横から、そのタバコをくれ、と近づいてきた。足の不自由な乞食もいた。一時間ほど前、10元だった急須がいつの間にか、高くなっている。北京の名所旧跡に行くより、このような街を歩くほうが面白い。

前門

秀水市場

そういえば、建国門近くの秀水市場でも同じようなことがあった。衣料品を中心に数百メートルに渡って通路両サイドにびっしりと個人商店が並んでいる。偽ブランド商品も多い。プラダのショルダーバッグがあったので、立ち止まってみていると、店員が声を掛けてくる。いくらか、と聞くと、380元。高いと言うと、すぐに300元。迷っているそぶりをしていると、いくらならいいかと聞いてくる。少し間をおいて150元というと、それでいいと言う。しかし、一瞬、買うのを止めた。100元にしろ、というと店員が怒り出した。「お前は150元でいい、と言ったではないか」と言っているらしい。無視して、店を離れようとした。店員が追っかけてきた。不満そうに、100元でいい、と言う。このあたりが買い時と思い、100元払った。
2005年1月、ここは取り壊しになり、新設ビルに移転しました。

大柵欄

天津の狗不理包子(こうぷりぱおず)や同仁堂薬店、張一元茶店などが目に入った。中国茶販売で有名な天福茶荘に入った。茶器を見るためだ。中国に行くと200−300元程度(3000−5000円)の急須(中国では茶壷という)を買うことにしているが、宜興や景徳鎮など、欲しいものがたくさんあって迷ってしまう。お茶も、高級茶は500g2000元。下手すると、庶民の二か月分の給料に相当する。帰国前日に、再度来ることにした。

琉璃敞

雑踏を抜けて住宅街へ。レンガ造りの古びた家が続く。少し行き過ぎたが、次の目的地の琉璃敞(りゅうりちゃん)に着いた。文芳四宝(筆・紙・硯・墨)を中心に陶磁器、印鑑などを売る店が集まっている。栄宝斉という有名な店に入った。入り口正面には、畳一畳ほどの大きな硯が飾ってある。ガラスケースの中には、羊の筆が一本数十万円というものもあった。プロにとっては欲しい物も多いだろう。観光客相手ということもあって値段は全般的に高いように思える。徐悲鴻、白石など有名な画家の絵のコピーが飾ってあった。結局、看一看(かんいーかん)、覗いただけで店を出た。


天壇公園

天壇公園へタクシーで向かう。運転手と交渉し、十五元。走り出してもメーターを下ろさない。到着する直前にメーターを下ろした。十元の料金が表示される。これで運転手は、五元ピンはねできることになる。天壇公園は、北京観光の代表的な場所。韓国、台湾、アメリカ、ヨーロッパ、日本など多くの外国人ツアー客で賑わっている。曇天のせいか、前回、来たときに比べ、すすけた感じがする。入園料三十五元は高い。

王府井

天壇公園入り口付近には多くのタクシーが停まっていた。メーターを倒さず、ぼられるかも知れないと思ったので、王府井までの料金を聞いた。数台が二十元から二十五元と答えた。彼らもピンはねを考えているのだろう。二十元くらいだと思うが良く分からない、という車に乗った。最初からメーターを倒した。実際は、十七元だった。

王府井は、北京で一、二を争う繁華街。99年の建国五十周年に道路は整備された。大きなビルが建ち並び、ロレックス、マクドナルド、東芝、NEC,ダイキンなど外資系企業の看板が目立つ。日本の繁華街に比べて小規模だが、ウィンドショッピングしているだけでも面白い。中国も、繁華街を見る限り、日本と余り違和感はなくなってきた。小喫街は雑貨や軽食を売っている。五つ星ホテル・王府飯店近くの衣料品点で、シルクのパジャマ二着を110元で買った。


西単

翌日、北京の繁華街・西単を歩いた。まず、中国国際航空の入っている民航営業ビルでチケットの確認をし、となりの北京図書ビルに入った。ここは、ガイドブックによると、中国最大の書店らしい。日本の紀伊国屋などの大型書店にも負けないくらいの書籍数で、店内はきれいで明るい。外国語のフロアーは圧倒的に英語の本が多い。西単北大街と西長安街の交差する文化広塲を通り、百貨店やショッピングセンターなどを見て歩く。四つ星のホテル・広州大厦のレストランは昼食が68元。高すぎるので、近くで10元の牛肉面セットを食べた。携帯電話やパソコンの店が集まったビルがあったが、中関村より客の入りは少ない。地下鉄の車両の中で、北京市内の不動産の広告が目に入った。平米約6000元から、と書いてあった。坪当たり、最低約25万程度か。やはり、まだまだ庶民には高値の花だろう。
こういったオブジェは、よく見かける

若い女性たちが、きれいになっていく

通りで、女性モデルが写真撮影していた。近年、ファッション雑誌が増え、モデルの数もかなり多くなったらしい。この日、地下鉄に乗っていたら、白いコートを颯爽と着たロングヘヤーの女性が乗り込んできて、ドアの近くに立った。場違いと思ったら、テレビのコマーシャルかドラマの撮影だろう、ホームから車中の彼女を写すカメラマンなどのスタッフが目に入った。へそだしルックの女性が闊歩する。百貨店の一階は日本と同様、有名ブランド化粧品のコーナー。婦人服のブランド品も売れる。後ろ姿がかっこよく、前を見るとがっかり、ということも多いが、全般的に、若い女性たちが、ますます、きれいになっていく。

頤和園

北京の代表的な観光地・頤和園。もともとは清朝の離宮で、後にあの悪名高い西太后が政務を司っていた場所でも知られる。浅田次郎の大作「蒼穹の昴 (そうきゅうのすばる)」にも登場するが、福岡の大濠公園を何倍も大きくした感じで、杭州の西湖に似ている。日曜日ということもあって、観光客で一杯。七年前にこの地を訪れたときと同じカットで、写真を撮った。背景は、昆明湖と仏香閣。ここは、ゆったりとした気持ちになれる。北京で好きな場所のひとつだ。

徐悲鴻記念館

二時過ぎ、遅い昼食を取り、徐悲鴻記念館へ。徐悲鴻は、近現代中国を代表する画家。特に馬の絵で有名だが、展示室の奥中央に飾ってあった「九方皋 (きゅうほうこう)」という絵が印象に残った。入館料5元。頤和園から記念館へ向かう途中、北京大学、人民大学、北京理工大学などの大学が見えた。中国のシリコンバレーと言われ、今、世界的に注目されている中関村を通った。

IT産業の拠点、中関村がいま注目されている

今回の旅行目的のひとつでもあった、中関村に行った。このあたりは、近年、連想や方正といった中国を代表するコンピューター関連企業だけでなく、日本やアメリカなどのメーカーも相次いで研究機関を開設しており、いま世界が注目する中国ITビジネスの拠点でもある。その背景には、北京大学、精華大学、北京理科大学など、たくさんの大学や科学技術院が集中しており、その研究結果が、いわゆる産学共同体として発展を始めた。科学技術院ではWindowsに対抗するOSを開発、連想に続き、業界売り上げ二位の方正という企業は北京大学の研究室から生まれた。

電脳とは、中国語でコンピューターのこと。太平洋電脳市場や中海電脳市場といった、パソコンおよびパソコン関連機器の多くの専門店を一同に会したビルがいくつもあり、どこも客で賑わっている。ビル内を歩いているだけで、それぞれの店の人間がバンフレットを片手に声を掛けてくる。販売競争も熾烈だ。ガイドブックには「日本の秋葉原」として紹介してあるが、電器部品も売っており、納得。現在でも、一帯は新しいビルの建設がさらに進んでいる。中国ではインターネット人口が急速に増えていると聞く。ソニーや富士通、東芝などのパソコン製品の値段を円換算してみると、日本の量販店とほぼ同じ価格。貨幣価値が違うから、その分、庶民にとっては、まだまだ高値の花だが、所得の向上により、個人がマイカーだけでなく、パソコンを持ち始めると、その市場性や中国社会への影響は極めて大きい。

精華大学正面

食生活の西洋化

いま、中国でも西側の食習慣が少しずつ普及し始めている。長春や大連など北の方では餃子のチェーンがあるが、北京でも飲食関係のチェーン店や西側のレストランシステムが目につき始めた。マックやケンタッキーフライドチキンだけでなく、それに名前をよく似せた店もある。

繁華街で見かけた台湾のしゃぶしゃぶの店と仙踪林という喫茶店のチェーンが流行っていた。特に、仙踪林はすでに100店以上の出店を中国で果たしている。メニューは軽食とソフトドリンク。日本人の眼から見ると別にとりたてて印象はないが、内装、従業員のユニフォーム、トレイのサービス、メニュー作りなどが中国の人にとっては目新しいのだろう。最低価格の緑茶割りレモンジュースが14元、結構高いが、若者には人気があるらしい。コーヒーチェーンのスターバックスも出店を増やしている。

中国に紹介されていない業態や食材、メニューはまだ多い。また日本で成功したから、中国で成功するとも限らない。業界でいう品質、価格設定もポイントだ。スーパーには、ネスカフェなどのインスタントコーヒーが並んでいる。スパゲティやピザなどの出店もいずれ本格化するかも知れない。すき焼きやカツどんは食べるのだろうか。ある中国人は、日本の刺身は残酷だ、と言っていたが、大連などの港町では徐々に庶民に浸透している。北京ではまだ親しみのない新鮮な海の魚も、食材として拡大していき、日本の市場に影響を与える日が来るかもしれない。このことを突き詰めていくと、消費量が膨大な国だけに、世界の食糧問題まで広がる。かつての日本がそうであったように、所得の向上、生活内容の西洋化、夫婦共稼ぎ、車社会の到来などに伴い、チェーン化のためのノウハウやシステム、人材教育などがそろえば食生活の変化とともに、中国のフードビジネスもこれから成長の可能性は大いにある。ところで西単にあった吉野家はどういう状況だろう。上海や青島で見かけた回転寿司はうまく行っているのか。

KFC

車社会の到来

中国のマイカーブームを予想して、北京郊外・高速道路の清河料金所近くに、豊田・本田・日産のカーディーラーが並んでいる。北京市内では、デパートのショールームでマツダの展示会をやっていた。昔は、タクシーはサンタナ一色だったが、今はヨーロッパだけでなく、日本など各国の乗用車も目につく。アメリカのビッグスリーも現地生産し、本格参入するだろう。

報道によると、今年4月の中国における乗用車の生産台数が前年同期比50.5%増の9万台に達し、史上最高記録となった。中国自動車協会によると、今年に入り乗用車の生産販売が急速に増え、1月から4月までに全国の乗用車生産量は同27.6%増の26.8万台となった。今年の第1四半期における全国の自動車メーカーの乗用車販売数は同22%増の18.8万台で、乗用車の在庫は年の初めに比べ1万1000台減少している。乗用車市場は今年の内需拡大の要因として新たに注目されており、市場環境の好転、ローンの低利率、価格の値下げ、多くの新型モデルの投入などが、顧客を引きつけ購買意欲を高めている。

今、中国では、ベンツが100万元(1500万円)、ホンダやフォルクスワーゲンが30万元(450万円)くらいだそうだが、特に大衆車の値下げが本格化すると、10万元くらいまで下がって、一気にマイカーブームに火がつくだろう。

車社会が到来すると、かつての日本と同じように、問題も出てくる。都市部の渋滞、排気ガス問題、事故・・・・。一方、自動車産業の裾野は広い。メーカーやディーラーだけでなく、設備装置メーカー、修理工場、ガソリンスタンド、駐車場、カー用品、高速道路運営、信号機、自動車学校、郊外型レストランやスーパーなどの流通のチェーン店など、自動車関連ビジネスが拡大する。ここにも、新しいビジネスチャンスがある。

WTOの加盟という優勝劣敗の論理が、中国という大きな市場を舞台に展開されていく。そうなると、長春第一汽車に代表される国内自動車メーカーも国際的なレベルで熾烈な競争社会に巻き込まれる。内外入り乱れての生き残りをかけた戦いがすでに始まっている。

車社会の到来

これからは中国の時代?

時代は変わる。中世以来の世界の覇権の歴史は、オランダ、イギリス、アメリカ、日本、そして中国へ。もはや、日本に黄金の日々は戻ってこないかも知れない。日本の工場は中国へ移り、中国から安くて良い物が押し寄せ、日本のデフレは止まらない。失業者は増え続け、ますます不況のスパイラルへ。政府は景気が底を打ったと喧伝しているが、果たしてそうか。

これからは中国の時代?中国は今、外資導入による改革開放・経済発展で、自信を持ち始めたかに見える。IT技術やバイオの分野で最先端になる日も近いと言われている。中国の人たちの貧しさから脱しようとするエネルギーが、歴史の風を受けて、政治、経済、社会、そして世界を変える?

現実には解決すべき多くの課題がある。かつて、毛沢東は「もしアメリカが攻めてきても、人民の海の中で溺れるだろう」と言った。しかし、広大な国土の中で十三億を越えるといわれる、この圧倒的な人口の多さが、逆に致命傷にもなりかねない。食料・エネルギー、赤字の国営企業、増え続ける失業者、銀行の不良債権、共産党一党独裁、少数民族の自立、法輪功に代表される思想や宗教の弾圧、環境破壊、都市部と農村部の貧富の差、台湾問題、拝金主義。さらに、三挟ダム、西部大開発、北京オリンピック、上海博覧会などの建築ラッシュ後のバブル崩壊、一人っ子政策のつけである将来の高齢化社会、外資頼みの経済発展・・・。


北京の印象を一言で言うと、潤いのない都市

春は強い風と黄砂で、ほこりっぽい。雨もほとんど降らず、文字通り、潤いはない。無計画な自然破壊の影響か、砂漠化の拡大で、数十年後に遷都の話も出ているらしい。周囲を圧倒するような高層ビルや高層マンションが続々と建設されているが、無機質な物体の塊にすぎないとも言える。エリートたちは勝ち残るために、技術や知識を身につけようと一心不乱。庶民は豊かになろうと、金になることはなんでもする。

この北京がいま、世界中に大きな影響力を持ち始めた。改革開放政策で中国の未来の舵取りをする中南海(共産党のトップたちが住む)の要人たち。外資を導入し、決断力と行動力で世界進出を図る企業家たち。中関村に象徴される優れた頭脳を持つ研究者たち・・・・・。しかし、急速な経済発展の陰に、「潤い」を無視した落とし穴が隠れているような気もする。


西長安街に面した王府井の新設ビル
The trip to China
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